本田▲リスペクトです。
ブログという媒体がいっそうマイナーな古墳になったと感じる今日この頃。
ブログなんてもはやガラケーみたいなもので、今どきやっている人は保守的なインターネット老人会の会員か、はたまた一部のマニアしかいませんし、よしんば普通の人がやっていたとしてもnoteのようなモダンでハイブリッドな媒体です。*1
ブログが廃れた一般的理由はすでに語られつくしているため、いちいち私が拙文でご紹介する必要はありませんが、やはり個人的経験としても以前ほどアクセス数が出なくなりました。要因としては検索エンジン使用者の減少と大手検索エンジンのアルゴリズム変更が大きく、ネットユーザーが個人のブログへ訪れる機会は大幅に減少しています。よって今はブログを書いても人の目に触れづらく、自分の書いたものが誰にも読まれないのでブログを書く人がいません。こうしてブログは廃れました。
この淘汰の中でnoteが生き残っている理由。それはSNS要素の存在で、同所ではYouTubeのように同一プラットフォーム内ですべての記事をシームレスに回遊できることに加え、検索機能やオススメによる発見やフォロー・スキなどのSNS性が支持を得ています。
2023年現在、インターネットで長文を垂れ流すならnoteにおいて他にありません。私も過去にnoteを使用していました。noteの方が明らかに人目に触れやすく、反応を得られる機会も多かったですし、人に勧められるだけの強みがあります。でも私はその強みが嫌でnoteをやめました。
noteで記事を書くと、中でもマニアックな記事や強い言葉を用いた記事を書くと、運悪く検索で発見された場合にSNSでシェアされ、賛否はともかく求めてもいない反応を得ていることがあります。もちろんエゴサしなきゃ存在しないのと同じようなものとは言え、困ったことに自分の記事が近いコミュニティでシェアされた結果、Xのオススメに流れてきたりで嫌な思いをすることもありました。知り合いの知り合いがなんか文句言ってたりなどです。
その経験から、徹底的に検索避けを施すなどしていたものの、「こんな気苦労するくらいならnoteじゃなくていいじゃん」と思い、ある日noteを去りました。それが今はてなブログで書いている理由です。
ブログなら良くも悪くもまばらにしか人が訪れず、noteとは異なり権威性も低いためかあまりシェアもされません。数字が正義の世界では明らかなマイナス要素です。でも今の自分にはこれが心地よいと感じます。一人で静かに書けますし、反応も返ってきにくい。こういうのでいいんだよ、と言いたい。これが強がりでないことは、私を多少なりとも知っている人ならわかるはずです。
自分の表現をより多くの衆目に晒したいとは思いませんし、それにポジティブな文脈で多くの人に読まれるのは容易なことではなく、どのみち自分には成し得ません。
今は、少なくとも今は、顔も名前も知らない誰かが読みに来ていればそれで満足です。
そういう理由で、気が変わらなければ今後もつらつら書き連ねていく所存です。
*1:なおnoteはブログではないらしい